自由な創作にSNSは必要ない

最近X(旧Twitter)の居心地がどうにも悪くて仕方ない。
きっと上手いこと、自分の気持ちと周りとの感覚の違いに折り合いをつけたり、
人からの目を気にせずできる人だけが楽しめる空間に変わってしまったように思う。

昔は好き勝手に呟いても大して気にならなかったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろうとXを開くたびに思ってしまう。

第一の理由としては自分のフォローする基準がガバガバな時があって、正直合わなそうだなと思う人もフォローしたこともあり、何となくブロ解できないまま、TLを構築してしまっているというのがある。

気持ちのどこかでは合わんな、と思ってもどことなくブロ解できないのが、優柔不断かつ人に悪く思われたくない派の悪いところ…思いきりお別れすればいいのになんかできないんだよね。

第二の理由としては自分の好みの狭さがある。というかこれが一番デカい気がする。

世間の二次創作をする人の大半は腐向けを好んで描いたり、読んだりする。
決してそれを否定するわけではないが、自分はどうも腐に対する一種のアレルギーがある。
正直言ってしまえば、推しキャラのR-18とか露骨なものは見たくない。見ても脳裏に焼き付いて離れない。
多分18禁に対して、見ちゃダメなものという意識が強いんだろうな…
むっつりと言われればそうなのかもしれない。

でもこれが、自分の界隈とは全く違う作品の腐なら読める。
恐らく推しキャラをそういう目では見れない。我ながら面倒くさい性分。

話はズレたが、とにかく世の中に溢れたそういう作品を見ることができない人間なので、今のXのおすすめ機能は最悪極まりない。だって容赦なく流れてくるじゃないですか…世間の反応が多いからなのは分かるけど、露骨な絵や文字の妄想が流れまくって地雷祭りのオンパレードと化している。どこまで改悪続けりゃ気が済むんだろう。

第三の理由は、人のやり取りや呟く内容に対してどことなく不快感を覚えてしまうことだ。

SNSの特徴は、いい意味でも悪い意味でも誰もが好きに呟けることだろう。
みんな好き勝手にやってんだからほっとけよって話だけど、自分が不快に思うことには変わりない。
イベントに容易く行けてる人、仲良さげにやり取りしてつるんでる人… そんなことを自分もやってないと言われたら嘘にはなる。要はそういう人が羨ましいだけか。

とにかくこうした理由で最近のXは居心地が悪くて仕方ない。
だから結果として、個人サイトと自分で設置したてがろぐをホームにしつつあるわけで…

改めて個人サイトは居心地がいい。
自分以外が更新することも、他人の意見や行動を見ることもない。
Xでメインジャンル以外にちょっとでも浮気したような動きを見せればフォロワーが減って、変に気分が沈んでしまうが、個人サイトなら他のジャンルのことを高らかに呟いても非難されることがなく快適だ。

創作においても、自分の作品しか並ばない個人サイトは他人の好みに左右されないし、いいねなどの数字に惑わされることもない。ここに籠りはじめてから、人からの反応がなくても描けるなと思うことも増えてきた。
考えてみればネットがない時代には、どこに見せるでもなく、ただ好きに描いてたもんな。

こうして見ると、自分にとってSNSは必要なものではなくなってきたな。
むしろない方が自由に思う存分描けるような気がする。

もちろん人に見てもらいたい時もある。そういう時はXに投げてみると有難いことにいくつか反応がいただける。でもそれはどんなに力作であっても、1週間もしないうちに反応はなくなってくる。SNSの評価なんてそんなものだ。

よくSNSで評価がもらえず苦しい、という悩みを見かける。
そんな人はSNSでの評価の前に、どうか自分の絵を愛することを大事にしてほしい。
どうせSNSの反応なんて一過性のもの、ずっと続くわけでない。
そんな一瞬の評価より、自分が好きだなと思える絵を描くことに専念してほしい。
そうすれば自然と、自分と同じ画風を好む人が現れると私は思う。

…なんてダラダラそれっぽいことを書いたが、私もまだまだ数字や世間の動向に惑わされる人間だ。
SNSでの評価や世間の好みよりも、自分の好きを大事にした創作を個人サイトでしていけたらいいな。

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